「すごいですね」「立派ですね」──
そんな言葉をかけられると、嬉しい。
でも、その称賛が他人の基準に依存していると、
いつか自分の価値が揺らいでしまう。
問いを生きる者は、自分の価値を、自分で定義する。
それは、社会的評価から距離を取り、
自分の価値観に根ざした生き方を選ぶということ。
他人の評価に頼ることの危うさ
成果、肩書き、年収、SNSの反応──
それらは一時的な称賛を生むかもしれない。
でも、他者の評価は移ろいやすく、
自分の内側に根を張ることはない。
他者評価に依存すると、「誰かに認められないと、自分の価値がない」と感じてしまう。
それは、自己肯定感を脆弱にする構造になる。
自分で誇れる生き方
問いを生きる者は、こう考える。
「自分が誇れる行動とは何か?」
「自分が納得できる選択とは何か?」
「自分が大切にしたい価値とは何か?」
それらを積み重ねた先に、
他者からの称賛とは別の“何か”が立ち上がる。
それは、自分の中で完結する誇りであり、
誰にも奪われない価値になる。
問いを生きるとは?
ニーチェは、人間を「動物と超人との間に張り渡された一本の綱」と表現した。
その綱は、深淵の上にかかっている。
渡るのも、途中に立ち止まるのも、振り返るのも危険──
それでも渡るしかない。
問いを生きる者は、この綱の上に立ち続ける。
転落の恐れを抱えながらも、魂が震える悦びに向かって、問いを手放さずに歩む。
責任世代としての価値の再構築
40代、50代──
社会の中核を担いながら、
「自分の価値は何か?」と問い直す時期でもある
子どもに何を伝えるか。
家族にどう向き合うか。
社会にどう関わるか。
そのすべてが、自分で誇れる生き方の再定義につながる。
それは、過去の成果ではなく、
今この瞬間の選択と姿勢によって形づくられる。
哲学的実践としての誇り
哲学とは、問いを立てること。
そして、問いに対して誠実に生きること。
その姿勢こそが、自分で誇れる生き方の源になる。
問いを生きる者は、
他者の評価に左右されず、
自分の価値を、自分の言葉で語る。
それは、静かで、力強い誇りになる。
次回予告:「不惑未満──問いを生きる者の哲学的成熟」
第7回では、シリーズの総まとめとして、
「不惑未満」という言葉に込めた意味を掘り下げます。
迷いながらも問いを生きる者の、
成熟と誇りについて語ります。

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