東野圭吾のフーダニット2作を読んで
先週、ようやく秋の情報処理試験が終わった。
私は「プロジェクトマネージャ」試験を受験した。
感触としては「手ごたえあり」だったが、解答速報を見るうちに自信が萎えてきた。
いまさらどうこういっても始まらないので、12月中旬の合格発表を待つほかない。
試験勉強から解放されたので、かねてから読みたかった小説を読んでみた。
それは、「私が彼を殺した」という東野圭吾の作品である。
この小説はタイトルからわかるように推理小説であるが、
犯人が明かされない特徴があり、犯人当ては読者に委ねられている。
こうした形式の推理小説を「フーダニット」(Who (had) done itの略)と言うらしい。
「私が彼を殺した」には前作にあたる「どちらかが彼女を殺した」という
同形式の作品があり、それが面白かったので「私が彼を殺した」に挑戦してみた。
以下ネタバレ注意!
結論から言うと、前作も本作も巻末にある「推理の手引き」がないと歯が立たなかった。
それは私の推理力が劣るというだけで、作品自体は正々堂々ヒントを提示しているので、
注意深く読み込んで推理すれば、犯人当ては不可能ではないように思う。
犯人が判明したとき、
「どちらかが彼女を殺した」ではある程度納得がいったが、
「私が彼を殺した」は大きな矛盾を感じてかなり冷めてしまった。
気になってWEBで調べてみたら、
やはりその矛盾は議論の対象となった形跡を発見できた。
その矛盾とは、犯人のピルケースすり替えという行為があまりにも迂闊である点だ。
ピルケースの経路とそこに付く指紋の数が一致しない点で、すぐに足が付く。
その犯人は、準子の部屋で雪笹の指紋をふき取る周到さを披露していたし、
犯行日には脅迫状までこさえて他人に殺人を代行させようとした狡猾さを持っているのに、
そんなすぐに足の付く方法を取ったとは信じがたい。
その矛盾については、メフィスト版とノベルズ版で犯人を変更した事に起因するという
興味深い考察をされている方がいらっしゃるので、そちらをご参照いただくとして、
私が「推理の手引き」を読む前に推理した結論の方が面白い結末の様に思うので、
ここに記しておく。
その結末とは、犯人が「貴弘」と「美和子」であるというものだ。
事件当日、貴弘が毒薬を2つ持っていたのは事実である。
1つは事件後に加賀へ渡すが、残りの1つが依然として行方不明のまま終わる。
貴弘は事件当日ピルケースに触れる機会が一切なかったという事だが、
美和子と2人きりになるシーン(花嫁衣裳を見てキスする場面)が例外である。
ただし、美和子の供述を信じるならば、貴弘はピルケースに触れてはいない。
が、美和子が共犯だったらどうだろう?
最後になるであろうキスを交わした後、貴弘と美和子の脳裏には何が浮かんだであろうか。
歪んだ愛とはいえ、決して離れらない運命である事を確信したのではないか。
そして貴弘は、無言のまま美和子の手の平へそっとカプセルを渡した・・・。
という内容はどうだろう?
こうなると、事件後の美和子の行動が矛盾してしまうが、そこはご愛嬌ということで!
これまで、推理小説を読んでも「それは絶対にわからんわな~」という読後感が好きでなかったが、
フーダニットという形式は自分で推理する楽しさを味わえるので、ハマりそうである。
フーダニットの他にもハウダニットやホワイダニットといった形式もあるらしいので、
機会を見つけて読んでみたいと思う。
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